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スタッフ紹介

院長 石崎 多未央 プロフィール

こんにちは。鍼灸院和来の院長の石崎 多未央 (いしざき たみお)です。

昭和48年生まれのみずがめ座です。血液型はA型。動物占いではこじかです。(ちなみに嫁はライオン) 今は立派なおじさんですが、こんなに可愛い時期もあったのです。この写真は4か月の時です。

幼稚園は高校野球で有名な徳島県の池田高校のとなりにある、池田幼稚園に通っていました。



小学校時代

小学校入学時から4年の1学期まで、台湾の台中に父の仕事の都合で住んでいました。
日本人学校入学した時に全校生徒で50人!

1クラスではないですよ。最初はタクシーで通学していました。別にいいところのお坊ちゃんではないのですが・・・ 途中から学校が人数増加に伴い狭くなったので学校移転。通学もスクールバスに。

一応帰国子女なので、中国語 (北京語) の発音センスはまだ残っていますが、単語を覚えていないので、ほとんどしゃべられません。



中学・高校時代

中学時代はバスケットボール部に。スポーツクラブに入れ、と親に言われて楽なところに入ろう、 と思って入ってみたら結構きつかったです・・・

残念ながらバスケットボールのセンスはなく、特別練習をしたわけでもなかったので、もっぱら審判をしていました。

クラブをやめた途端に毎月1キロのペースで肥えていきました。写真は高1の時の写真 (右下が私)なのですが、見事に顔がパンパンです。

この時はまだよかったのですが、高3卒業時には100キロに! デジタルではないヘルスメーターで体重をはかった時に、目盛が1周回って元の位置に。 あわてて公園に走りに行きました。

中学校に入ってから、アトピーが出ました。顔以外、大変な事になっていました。毎月2回は病院に通っていたのです。しかし、なかなか良くなりませんでした。

高校に入ってから少しかゆいのが落ち着いてきました。環境の変化で良くも悪くもなるものだ、というのを知ったのはずっと後の話です。



大学時代

大学入学前から、少し大きな銭湯でアルバイトをし始めました。それまで1日4食だったのですが、 2食に減らしたら40日間で9キロやせました。 食べ過ぎだったんですね・・・

京都産業大学 経営学部に入学。大阪府大東市から通ったため、片道2時間を週4回。学費を半分出す約束だったので、アルバイトに明け暮れました。

大学1回生の体育の時に、体重が91キロあったので、「ヨコヅナ」と呼ばれていたのです。まあこれではモテない、 と思って1回生の夏休み50日間の間にカロリーメイトダイエットをしました。 夏休みの最初のうちは晩ご飯を食べていましたが、5キロやせると体重の停滞期が来ます。

その時に晩ご飯もやめて、一日の飲食物がカロリーメイト1箱と牛乳200cc、 あとは水だけ、という生活。(くれぐれも真似しないでくださいね)朝6時から夕方6時まで働いて、夜走って、夏休み終了日に75キロになりました。

海外旅行にも2回行きました。ヨーロッパ (ドイツ・フランス・イタリア・スイス) とアメリカ (とナイアガラの滝) へ。写真はドイツに行った時のもので、 この時はウエスト70センチくらいしかなかったはずです。 今は元に戻ってしまいましたが・・・

3回生の時は新阪急ホテルの中の、クレール (今ではコンビニに変わってしまいました)、という喫茶店兼ラウンジでウェイターをやっていたのですが、 そこへ大学のクラスメイトがやってきました。

クラスメイトの先輩と一緒に来ていたのですが、その時に、「就職に役立つ所があるから一緒に来ない?」と言われて、 連れて行かれたところが藤●紀香さんがブレークする前にいた、宗教団体でした。

そこでは、「親子・夫婦仲よく」とか、「類は友を呼ぶ」といったことを教えていました。いいところに就職したかったら、親を尊敬し、仲良くしましょう、と 。家族は社会の縮図である、と。いい会社に就職したかった私は、素直に家族と仲良くするように心がけるようになりました。

それまであまり家族にお土産を買って帰ることなどなかったのですが、ミスタードーナツでいろいろ買って帰る、ということもするようになりました。 21歳になって、ようやく家族と うちとけるようになりました。今では家族大好きです。

さらに、そこで気づいたことは、多少、氣を感じることが出来る、ということでした。宗教団体のトップはかなり大きく氣を出すことが出来る人で、 何千人と座っている会場に向かって氣を発すると、走ったり踊ったりする人が何人か現れるのです。

不思議な光景でした。私は少しカラダが揺れる程度でしたが、科学万歳だった考えから目に見えないものを全否定する態度はよろしくない、という考えに変わりました。

勉強することも推進されていたので、小説だけではなく、ノンフィクションの本を読むようになり、やらされる勉強ではなく、 自ら進んで勉強をするようになったのもその頃からです。 私にいい影響をたくさん与えてくれたのですが、その宗教団体を27歳で”卒業”しました。

大学に入ってから、スギとヒノキ花粉が飛ぶ時期になると辛くなるようになりました。くしゃみ、鼻水、目のかゆみ、のどが腫れる、など、 様々な違和感に苦しめられるようになりました。違和感が出る時だけ普段はしないメガネをかけ、マスクをする生活が、開院するまで続きました。



会社勤務時代

三洋電機クレジット株式会社に入社。転勤が多く、大阪→名古屋→東京府中→山梨甲府→東京立川→大阪→静岡と異動しました。 富士山を表からも裏からも見ました。(どちらが表か裏かは分かりませんが)

転勤をくり返すうちに、大阪に住みたい、と心から思うようになりました。静岡勤務の時に特にその気持ちが大きくなりました。

さらに、もともと独立願望が高かったのです。2年くらい悩んで、ある日の朝、突然思い浮かんだのが「鍼灸師」という仕事でした。

皮膚のかゆみや、スギ・ヒノキの花粉に苦しめられる状態がなかなか根本的に良くならなかったので、何とか打開したかった、ということも大きな要素としてありました。

大阪勤務の時に、営業先の中に、整骨院の先生が保険を請求する為のソフトを販売しているところがあったのです。 リース契約を結ぶ為に直接「鍼灸整骨院」の先生のところへ行って契約書を書いてもらっていたので、その雰囲気は分かっていました。

ただ、タイミングが非常に悪かったのです。なにせ結婚3ヶ月前。妻や、妻のご家族、私の両親には多大な心配・迷惑を掛けてしまいました。 学校に通わなければならないので私の収入は激減。今でも温かく見守ってもらっていて本当に感謝しています。

決断した時は静岡勤務だったのですが、決断した後、偶然 (?) 大阪勤務の時の整骨院向けソフトの販売会社の社長から 「静岡のお客さまに売るから、静岡で一度会わない?」と言われ、そのお客様のところで2年ぶりに社長と会いました。

鍼灸師になりたいことや第一志望の専門学校の話をすると、これまた偶然(?)販売会社のオーナーが第一志望の学校の理事長をしているとの事。 社長に学校への推薦状も書いてもらえるとのことに。一気に視野が開けたのでした。



専門学校時代

鍼灸師になるには、3年間、五百万円以上のお金をかけて専門学校か大学に通わなければなりません。

専門学校では、それはもう、人生で初めて、っていうくらい猛勉強しました。勉強時間に関しては誰にも負けない自信がありました。

学校に通っていた3年間は、妻と年に1~2度旅行に行く以外は寝ているか、働いているか、勉強しているか、でした。

勉強するだけではなく、鍼灸整骨院にも勤務しました。1日7時間、週5回マッサージをしていました。超繁盛院だったので、腕はどんどん上がっていきました。

マッサージをする以前から、何となく感じていたのことなのですが、自分は カラダのエネルギー(気)が分かる、ということに気づきました。

カラダのどこが悪いのか、お客さまのカラダにさわると分かるのです。(今では触らなくてもある程度分かるようになりました。)

そういう「天から贈り物」があったので、勉強には身が入りました。 体内エネルギーの去来が分からないと、鍼でツボを刺激する時も、全然違うところ、効かないところに鍼をさすことになり、 ただお客さまのカラダから体内エネルギーをもらしているだけ、という事になってしまうのです。

硬い筋肉を多少ほぐすことはできますが、慢性的な痛みや違和感を鍼で良くすることが出来る人はほとんどいません。 ツボに当たらないので、 カラダにいくら刺しても臓器(肝臓・心臓・胃腸・肺・腎臓など)に関する痛みや違和感は良くならないのです。

この業界は、残念ながら体内エネルギーの去来 (気) が分からずに筋肉刺激のみをなさっていたり、 やみくもに鍼を刺している人だらけです。

知識をつければ、将来競合に負けない、有望な鍼灸師になれる、という自負があり、 学生時代の3年間は学校の誰にも負けないくらいに勉強しました。 おかげさまで、卒業時に成績優秀で大阪府知事賞 (写真) をもらうことができました。

卒業するくらいの時期になって、ようやく自分の目指す形が見えてきたのです。

勉強すればするほど西洋医学だけで考えるより、東洋医学も同時に考えた方が、 お客さまのカラダをよくするのに、早くなる、ということを確信して行きました。 西洋医学にも東洋医学にも、どちらにもいい面があるのです。

私がお客さまと話す時は「西洋医学的に考えると」「東洋医学的に考えると」、という風に、両面から、説明いたします。

鍼をする時もマッサージをする時も同じで、筋肉に直接刺激を入れることもしますし、あなたの身体が、 ここに刺激を入れてほしい、と言っている(?)ところに刺激を入れる、という両面からのアプローチを行います。

ただ、私がする施術は、「いかにお客さまの自然治癒力を高めるか」をベースに考えます。

施術していて思うのは、「カラダ (無意識)は、絶えず健康・元気になろうとしている」、ということです。

それなのに、アタマ (顕在意識)で色々考えてしまって、カラダが元気になろうとしているのに邪魔をして、いつまでたってもよくならない、という方が非常に多い、ということです。

私の仕事は、あなたに 良くくなってもらう事です。

体内で自然治癒力の働きを邪魔しているものを取り除けば、自然治癒力もスムーズに流れるようになるのです。そうなれば、痛みや違和感が軽くなっていくのです。

私は、あなたの自然治癒力を最大限に高めて痛みや違和感の根本解決のお手伝いをするために河内長野鍼灸院和来を開院しました。今も開院当時と変わらぬおもいで、来院されるお客さまの施術にしっかり励んでおります。

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